当初の予定では、上高地より入山し徳本峠に幕営、そこから霞沢岳を往復するつもりでしたが、台風10号が接近し、入山初日は台風の暴風雨圏内に巻き込まれることがほぼ確実になってしまいました。私一人ならともかく、今回は子連れです。暴風雨の稜線にテントを張るのは大変なだけでなく、明神から徳本峠に至る沢沿いの登山道の豪雨による崩壊も考慮しなくてはなりません(実際この登山道は1998年、土砂崩れで崩壊しています)。そこで出発直前に急遽予定を変更し、上高地小梨平キャンプ場に二泊し、好天が期待できる二日目に焼岳を登ることにしました。
9時半に上高地到着。晴れていれば人で溢れ返る河童橋周辺も閑散としていた。
小梨平キャンプ場の管理事務所に手続きに行くと、「エッ、テントを張るんですか?」と少し驚いた様子だった。長野県にも暴風雨警報が発令され、こんな日にテント泊の申し込みに来る人は他にいないようである。私だって大雨のさなかテントを張るのは楽しくはない。しかしここは管理されたキャンプ場、厳冬の吹雪の雪山に設営するよりは、ずっと気楽である。
今回はタープまで持参した。暴風に倒されずに済むか、試してみたかった。しかし期待(?)に反して、台風が通過中とは信じられないほど、風は穏やかだった。
設営後、インフォメーションセンターで開催されている山岳写真展やビジターセンターでビデオを見て過ごしたが、多くの時間はとりとめの無い話をして費やした。降りしきる雨を眺めながら、娘は普段は話さないことまで楽しげに喋り続けた。
すでに親離れの時期に入っている高1の娘は、ここのところ口数が目に見えて少なくなっていたので、こうした時間は私にも非常に楽しいものであった。
台風一過のすばらしい朝を迎えた。5時50分キャンプ場を出発。40分ほどで焼岳登山口に到着した。私は娘のペースに合わせるよう、普段よりゆっくりと登り始めたが、娘から「もっと早く歩いて」とせかされてしまう。
左は焼岳登山道の一番の難所? 私達の前を行く団体さんが通過のため渋滞していた。
焼岳小屋の上の展望台に上ると、そこにはすばらしい景色が広がった。展望台から少し下り、そこから焼岳への急登となる。情けないことに、娘の方が足が速く、どんどん離されてしまった。上のほうで娘が待っている。ようやく追いつくと、待ちくたびれたような顔をした娘は、私を置いてまたさっさと登ってしまうのであった。
この三ヶ月の登山空白期間中に、私の足腰と心肺機能は著しく低下してしまったようだ。2週間前に尾瀬を歩いたが、これは平地ウォーキングに毛が生えた程度のもの。
それに引き換え娘は、先週クラブ(自然愛好会)の夏山合宿で中央アルプスの2泊3日の山旅を終えたばかりである。しかもそれに先だって、10日間ほど山行前トレーニングを行っていた。
余談になるが、この山行で新入部員の一人が体調を崩して動けなくなり、稜線で日が暮れてしまったのである。パーティは先生を含め全員女性のため、背負うこともままならなかった。引率の先生は警察へ救助を要請したが、ガスが深く日没後のため、ヘリは出動できなかった。連絡を受けた山小屋から救助の人が駆けつけ、その人に担がれて小屋に収容されたとのことであった。
娘は霧の稜線で日没を迎えた時のこと、その後星空となりヘッドランプを点けて、稜線を歩いたことなどを興奮ぎみに話した。以前は軟弱だった娘が、こうした得難い経験を重ね、少しずつ強く成長していくのはうれしく、ありがたいものだが、先生方の心労は大変なものだった違いない。
息を切らしながらようやく山頂間近に来た。振り返ればすばらしい大展望である。台風が空気中のごみを一掃したせいか、空気の透明感が普段と違う。
焼岳山頂にて。娘は余裕でVサイン。
私達は山頂の喧騒を避け、穂高よりに少し下ったところで食事することにした。程なく数名のグループがごく接近して腰をおろした。知的な紳士達だったので、山上の雰囲気を壊されることも無く、静かなひと時を過ごすことができた。
焼岳の火口からわ湧き立つ水蒸気。娘は温泉卵の匂いがすると言った。
当初登る予定だった霞沢岳。私は過去二度挑戦した。私の若い頃は登山道がなく、八衛門沢を登ったがルートを誤り敗退、一昨年徳本峠から登頂を果たした。
水場で顔を洗う娘。私は頭まで洗ってしまった。ここまで下ると焼岳登山口も近い。
キャンプ場に戻り、しばしくつろいだ後、風呂で汗を流した。夏山登山では風呂に浸かれる以上の贅沢はない。風呂上り後、私はビール娘はジュースを購入し、梓川のほとりでさわやかなひと時を過ごした。
キャンプ場なので食材も豊富。肉でも野菜でも何でもありだ。今夜は豚肉のガーリックソテーと、マーボ春雨、ポテトフライ、卵スープと豪華な夕飯となった。
寝袋に入ると、大学生のグループと思われる蛮声が、静かなキャンプ場に響いた。これを聴いた娘が大学生グループの批判をさかんに始めた。
私は山での泊まりはテントと決めているので、山小屋内の様子は知らないのだが、娘によると山小屋ではた迷惑なのは、決まって大学生かオバサンの団体、それにオジサンのイビキであって、これは娘の所属するクラブ内で定説となっていると語った。イビキはともかく、山の神秘と静寂を破る人たちは、近くに寄って来て欲しくないものである。
娘の寝顔を眺めながら、私は無上の心の安らぎを覚えた。私が自分の人生を終える時、おそらくこのひと時を思い返すことだろう。
午前2時半目覚めてしまい、ベンチに腰掛けコーヒーを飲みながら夜明けを待った。
夜明け後、しばらくすると深い霧が山々を覆ってしまった。時折小雨もパラついてきた。晴れていれば上高地周遊も悪くないが、穂高も焼岳も見えず、目につくのは観光客の姿ばかりであった。早々に引き上げ、娘とドライブしながらのんびり帰ることに方針を変えた。
帰途、娘に一番心に残った山行はと尋ねると、私と昨年訪れた、尾瀬の岩塔ヶ原と答えた。その時登れなかったカッパ山は必ず行きたいとも言った。それでは、来年のゴールデンウィークに行こうと誘ったが、ゴールデンウィーク明けは必ず学校で試験があるとのこと。それに高2にもなれば、受験勉強も忙しくなるので、山登りも「当分の間は無理」とフラレてしまった。もっと娘と山歩きを楽しみたいものだが、当分の間独りで山歩きを続けることになりそうだ。